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主に野球(NPB)に関する事を、チームに関係なしにいろいろと書いていきます。

中日ドラゴンズにとっての落合博満の功罪

2017年1月末で、退任する事が決まっている、中日ドラゴンズの落合GMですが、脅迫や自宅への投石、そして、息子の福嗣くんの自宅にまで投石があった事が、報じられています。

GM就任後、3年連続でのBクラスや、人気選手の扱い等、いろいろと報道されていますが、中日ドラゴンズにとっての落合 博満氏の功罪を見ていきたいと思います。

選手時代

ロッテ・オリオンズでNPB史上唯一の3回の三冠王を取ったにも関わらず、1986年シーズン終了後に、1対4のトレード(牛島 和彦・上川 誠二・平沼 定晴・桑田 茂)で、中日ドラゴンズに来ました。

人気もあり、タイトルも取っている牛島 和彦氏がトレードで出されたという論調で語られる事が多いですが、当時の上川 誠二氏は、中日の中で指折りの人気選手だった為、当時の中日ファンの中の論調は、牛島氏と上川氏を出して落合博満氏を取る価値があるのかといった論調だった記憶があります。

中日在籍時の打撃成績

打率 本塁打 打点 出塁率 OPS 備考
1987 0.331 28 85 0.435 1.037 -
1988 0.293 32 95 0.418 0.998 最高出塁率
ベストナイン
優勝
1989 0.321 40 116 0.410 1.036 打点王
ベストナイン
1990 0.290 34 102 0.416 0.975 本塁打王
打点王
最高出塁率
ベストナイン
1991 0.340 37 91 0.473 1.155 本塁打王
最高出塁率
ベストナイン
1992 0.292 22 71 0.422 0.948 -
1993 0.285 17 65 0.423 0.885 -
合計 0.307 210 625 0.427 1.004 -

素晴らしい成績です。この中日の成績だけでもレジェンドです。
通算のOPSが1.000超えですからね、驚異的です。

一部には、三冠王を期待して中日は取ったのに、三冠王を取れなかった事で批判する声もありましたが、結果的に取れなかっただけで、成績は素晴らしいですし、三冠王に関しても、あと少しの年もありましたからね。

この人は本当にすごいと思ったのは、1991年の最終2試合での狙って打ったヒットです。

6打数5安打若しくは、9打数6安打で古田 敦也の打率を抜くことができるって報道が事前にあった為、楽しみに見ていたいんですが(テレビだったか、ラジオだったかは忘れましたが)、本当に6打数5安打で抜いちゃったんですよね。

結果的には、その後で、古田 敦也が抜き返した為にこの年は、首位打者は取れませんでしたが、ホームランを狙わなければ、ヒットはいつでも打てるっていってるのは、本当なんだったって、子供心に思った記憶があります。

上記のように、記録にも記憶にも実績を残し、優勝にも貢献していますので、ここまではドラゴンズファンに恨まれるところはありません。

ただ、1993年を最後に、フリーエージェントで、中日ファンが一番嫌う巨人に移籍する事で怒りをかい、そして、あの有名な1994年の勝ったほうがシーズン優勝となる、10.8決戦で、ホームラン、タイムリー(その後、怪我で退場...)で、中日を奈落の底に落とし、更に怒りをかう事となりました。

監督時代

1998年に日本ハムファイターズを最後に引退し、その後、野球解説者等を経て2003年シーズン終了後に、中日ドラゴンズの監督に就任しました。

監督時代の成績

順位 勝率 ゲーム差 打率 防御率 備考
2004年 1位 79 56 3 0.585 -7.5 0.274 3.86 -
2005年 2位 79 66 1 0.545 10 0.269 4.13 -
2006年 1位 87 54 5 0.617 -3.5 0.270 3.10 -
2007年 2位 78 64 2 0.549 1.5 0.261 3.59 日本一
2008年 3位 71 68 5 0.511 10 0.253 3.53 -
2009年 2位 81 62 1 0.566 12 0.258 3.17 -
2010年 1位 79 62 3 0.56 -1 0.259 3.29 -
2011年 1位 75 59 10 0.56 -2.5 0.228 2.46 セリーグ2連覇
- 629 491 30 0.562 - - - -

素晴らしい成績ですね。中日ドラゴンズの歴史を考えれば文句のつけようがありません。

落合博満氏が監督になる前の2003年以前の中日は、5回セリーグ制覇していますが、大体、10年に1回優勝すればいいような成績でした。

それが、2004年に落合博満氏が監督をしている、8年間は全てAクラスで、セリーグ制覇4回、日本一1回です。

間違いなく、中日ドラゴンズの黄金時代です。

落合野球を語られる時に言われるのは、「ツマラナイ野球」と言われる事が多いです。投手中心の采配で、点を取られなければ負けないってのが基本で、バントを多用し、最小得点で逃げ切る采配です。

ただし、相手チームからすると、何をやってくるかわからないと言われていました。

2004年の開幕戦で、フリーエージェントで移籍してから3年間登板のなかった川崎憲次郎氏を開幕戦に登板させたり、予告先発がなかった為、徹底的に先発投手を隠したり、その他情報を徹底的に統制していました。

これが、落合野球の不気味さに繋がっていると思いますが、情報統制や、落合博満氏が、新聞にあまりコメントを発さない為、新聞記者からの評判は非常に悪いものでした。親会社の中日新聞社からも...

人気面については、落合監督時代に大幅に落ちたと言われています。

象徴的な事として、落合氏が、「勝つことが最大のファンサービス」と公言して、ファンサービスを軽視したと言われる事です。

この批判は、単純におかしいと思いますね。落合監督時代に、サインをしたりする一般的なファンサービスや、その他のファンサービスが充実していないかったのは事実でしょう。

でも、それは、監督の仕事ではないですよね?

せっかく黄金時代に突入したり、ドアラが注目されたり、NPB史上で一番かっこいいとも言われ、2011年最優秀選手(MVP)も獲得した浅尾 拓也投手を要していたのに、それを興行面に十分に活かせなかったのは、球団自体の営業的な問題でしょう。

ただ、どんなサービスをしようとも、「勝つことが最大のファンサービス」は、それほど否定できるセリフではないと思うんですけどね。

どんなに充実したファンサービスをやってもらおうとも、やはり、「勝利に勝るファンサービスはない」と言われても、少し反論する事はできても、完全に否定できる言葉じゃないと思うんですけどね。

まぁ、とにかく、落合 博満氏は、表向きは、人気が落ちた事を理由に契約上は任期満了ですが、事実上の解任となりました。

落合監督退任後、更に、人気は落ちていくんですけどね。。

あと、タニマチとの距離をおいたのも、落合監督時代の特徴です。自分も、タニマチのパーティーの出席を拒んだり、選手にもなるべく距離を取らせるようにしたと言われています。

ある引退した選手が言ってましたが、毎晩タニマチに呼ばれるので、現役時代、名古屋で自分のお金でご飯を食べた記憶が無いと言っていたのを聞いた事があります。確かに、これはチームを強くするのに障害となりますので、遠ざけようとした落合氏の考えは理解できます。

ただ、これも、タニマチから反感を買い、シーズンチケットの売上への影響、そして落合監督解任への流れへ繋がったと言われています。

ちなみに、私は落合監督時代の野球自体は緻密で面白かったですが、同じ力を持っていれば、若手ではなくベテランを使うといったところは、若手を多く見たいと思っていましたので、そこはツマラナイと思っていました。

ゼネラルマネージャー(GM)時代

2011年に監督を退任しますが、2013年のシーズン後、GMとして中日に復帰しました。

白井オーナーとしては、監督で復帰させたかったと思いますが、中日新聞社や、地元財界、タニマチに敵が多いため、監督で復帰させられる事はできずに、顧問としてオファーを出し、最終的には、落合氏の提案によりGMとして復帰する事となりました。

ゼネラルマネージャー時代の成績

順位 勝率 ゲーム差 打率 防御率 備考
2014年 4位 67 73 4 0.479 13.5 0.258 3.69 8億削減
2015年 5位 62 77 4 0.446 13.0 0.252 3.21 -
2016年 6位 58 82 3 0.414 30.5 0.245 3.65 谷繁解任
- 187 232 11 0.446 - - - -

惨憺たるものですね。

はっきり言って、わかりやすい実績は、年俸の削減くらいでしょう。

中日球団(白井オーナー)の落合GMへの第一のオーダーは、年俸削減だったと言われていますので、これだけでほぼ球団との契約はクリアしているともいえます。

減額制限いっぱいの減俸や、減額制限を超える減俸を連発した事により、批判を浴びていましたが、活躍できなければ減俸するのは当たり前の話で、この年以降、他球団でも、減額制限を超える減俸は増えているように思えます。

いっぽうで、成績は、年々落ちてしまい、最終年は最下位でした。

この成績では、契約延長されないのは、しょうがないと言われていますが、どうなんでしょうかね?

GMと監督が同じタイミングでかわるというのも、よくわからないなって感じです。

例えば、横浜DeNAベイスターズの高田 繁GMは、GM就任後、6位→5位→5位→6位→3位です。

どん底スタートだった高田GMと比べられないところもありますが、中日の考え方では、4年目に再び6位に落ち、中畑監督が退任するタイミングで、高田GMもかえる(中日の場合、廃止ですが)のが中日の考え方でしょう。

腰を据えてチームを作り上げるといった事を考えると、ベイスターズの考え方が正しいと思います。

ここでの落合GMの最大の罪は、成績やドラフト等の結果ではなく、中日のブランド力の低下でしょうか?

ただし、これは、元々それほどブランド力が高かった訳でもなく、マスコミ嫌いの落合氏を嫌うマスコミが作り上げているものでもありますので、落合GM退任後は、少しは戻るかと思います。

結論

結局、落合博満氏の功罪は、「功」としては、選手としては、抜群の打撃成績とセリーグ制覇。監督としてはセリーグ制覇4回、日本一1回。そして、GMとしては、年俸の適正化があげられます。

「罪」としては、10.8決戦で奈落の底に落とし、中日から優勝をかっさらってしまった事、監督・GMとしては、タニマチ、地元財界との関係を悪化させてしまった事、元々低かった中日ブランドを更に押し下げてしまった事でしょうか?

癖の強い落合 博満氏ですが、健康に問題が無ければ、また野球界に戻ってきて欲しいですね。できれば、どこかの監督として。

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